「………」
「鋼の。君は確か第五研究所に不法進入しているな」
ロイが立ち上がった瞬間ぎしりと軋んだソファの音に、神経が過敏になっているせいかエドワードはびくりと身体を小さく揺らした。ロイが座っていたソファを見つめたままエドワードは微動だに出来なくなる。視界の端に捉えたロイはエドワードに背を向け窓際を見つめているようだ。
「そこで君は何者かと戦闘し重症を負い、セントラルの軍病院に入院していたそうだね。君が入院している期間、故障した機械鎧の修理のため君の幼なじみウィンリィ・ロックベル、中央勤務のアームストロング少佐が見舞いに……後は誰が君の元を訪れた?」

ここまで知っているならば訊かずともロイは知っているのだろう。それをわざわざエドワードの口から言わせようとしているロイの意図がわからない。
「どうした、言えないのか?」
「…知ってるんだろ、誰が来たのか」
「知っているさ。あのお人良しが行かないはずがない」
それなら何故わざわざ訊くような真似をしたのか。エドワードはそれを口に出して言うことも出来ず、背を向けたままのロイに漸く視線を向けた。
「そこで君は研究所で得た情報をアームストロング少佐と…ヒューズに話したんだろう」
そこまで言い切るとロイはエドワードの方へと振り返る。冷静を取り繕ってみせてはいるが、ロイが苛立っているのが手に取るように分かった。肌にちくちくと刺さる緊迫したような空気と居心地の悪さに心が怯みそうになるが、それをロイに悟られまいと必死で表情を取り繕う。
「なぁ、鋼の。言ってしまえば楽になるんじゃないのか」
「……何を、だよ」
口調だけは穏やかないつものロイのようだが決定的に違うのだ。彼の纏っている空気が。
エドワードはロイがこれから言うであろう言葉を死ぬほど聞きたくなかったが、自分の方へと一歩一歩近づいてくる彼の姿を硬直したように見つめる事しか出来ない。

「!」
直ぐ目の前で足を止めたかと思えば、ソファの背もたれに身体を挟み込むように両手をつかれエドワードはその衝撃に思わず身体を揺らす。上からのぞき込むように見下ろすロイの瞳を驚いたままの表情で見上げた。


「ヒューズが死んだのはお前のせいだ」

何の感情ものせずに放たれた言葉にエドワードの頭は真っ白になる。もう取り繕う余裕などエドワードにはなかった。ただロイに突きつけられた言葉に全て支配される。何も考えられず、頭の中が白く塗りつぶされていく。
「賢者の石に、自分に関わったばかりにヒューズは命を落としてしまったのだと、そう思っているのだろう?だから消化できない思いを誰かにぶつけたかった…違うか?」
ロイの言葉は間違っていない。自分に関わったせいで他の誰かが命を落とすなんて嫌だった。それは欺瞞に過ぎないと判っている。今回の事以外でも自分が知らないだけで、自分に関わったばかりに不幸に見回れた人間がいるのかもしれない。
頭の片隅ではわかっていた。しかし、自分に近しい人を亡くして漸く気づいてしまったのだ。
それはなんで怖ろしい事だろうかとー。

「鋼の、自分で言うのもなんだがヒューズとは長い付き合いでな。ただ一人親友と呼べる人間だった。娘を溺愛していて顔を合わせる度に自慢をしてきては仕事の邪魔をして、そのくせ人の心配ばかり……そんな奴の、最期の電話に…私は出ることが出来なかった」
「……最期の…?大佐に?」
ヒューズ中佐の殺害された場所は公衆電話のボックスの中だと新聞に書いてあった。ヒューズ中佐はロイに何を伝えようとしていたのだろうか。

(最期の電話に出る事が出来なかった…)
ロイの言葉が胸に鈍い痛みを伴って突き刺さる。今になって漸く気付いた。自分だけがヒューズ中佐の死に胸を痛めている訳ではない。それよりもすっど長い時間共に過ごしてきたロイの悲しみの方が深いに決まっている。それなのに、そんな事にも気づけずにどうしようもない憤りをロイにぶつけてしまった。
「……ごめん」
後ろめたさからロイの顔を見ることが出来ずに、俯いたままエドワードはその言葉を口にする。なんて言えばいいのか判らず、結局そんな謝罪の言葉しか出てこなかった。そんな一言で許されるとは思ってはいなかったが、言わずにはいれなかった。
「…何故、謝る」
「大佐がさっき言ったみたいにヒューズ中佐が亡くなったのは俺のせいだ。俺が巻き込んだばかりに…命を落とした」
「………」
「…だから、俺に出来ることがあれば協力する。大佐が上に行くための力にもなる…ヒューズ中佐の事も、」
「子供に何が出来る」
言いかけた言葉をぴしゃりと遮られ、一体何を言われたのかもはっきり理解する事も出来ずにロイを見上げる。
「……っ」
見なければ良かったと思ってしまうほどエドワードを見下ろすロイの瞳は冷たいものだった。すっかり言葉の先を見失ってしまったエドワードを畳み掛けるようにロイは言葉を続ける。
「自分の身もろくに守れない人間が他人の力になりたいだと?笑わせるな。己の罪悪感から一時的でもいいから逃れたいが為の口先だけの戯れ言にすぎん」
「……そうじゃない…とは言い切れない。けど、俺はそんな気持ちだけで言ってるんじゃないっ!俺は、俺に出来ることをしたい。それだけだ」
「………ほぉ」
ロイはエドワードの言葉を真摯には受け取らず、馬鹿にしたように口を歪め嘲っている。いくら必死に言い募っても受け入れてくれないロイにエドワードは苛ついていたが、自分にもその一任はある事も理解はしていた。
歯がゆさにエドワードはぎりと奥歯を噛み締める。
「そんなに罰が欲しいか?」
「……罰?」
「そうだよ、罰だ」
そう言いながら近付けられた顔の異常なまでの近さにエドワードは困惑した表情を浮かべる。ロイが何を考えているのかわからない。ロイのただならぬ様子に気を取られていたせいで、いつの間にか首に回されていた掌の感触をひたりと当てられるまで気付けなかった。
「…っ!?」
喉の薄い皮膚を熱い掌で締め付けるように押し当てられて、息苦しさにロイの手首を引き離そうと両手に力を入れるがびくりともしない。
「何、しやがるっ…!」
「ヒューズが自分のせいで死んだ…そう思っているならば、君は私の仇と言うことになるのかな」
「ぐっ…!?」
気道を押しつぶされて息苦しさと吐き気が同時に押し寄せてくる。うっすらと開いた瞳に映るロイの表情は前髪で隠れてはっきりと見えなかったが、その薄い唇は確かに笑みが浮かんでいた。
(…本当に、大佐なのか?)
いつものロイであれば考えられないような行動や言葉の数々に、エドワードの霞んだ頭は目の前の男が誰なのかわからなくなってくる。押さえつけられている手首に絡めたままの指先は、もう力すら入っていない。
限界が近付いて意識が遠のきそうになった時、唐突に首の拘束は解かれた。

「っ、かはっ!!はっ…はぁっ…」
漸く解放されて呼吸は出来るようになったものの、喉に残る違和感に激しく咳き込んでしまう。
(……まだ締め付けられてるような気がする)
自由になった右手で締められた自身の喉に触れる。自分の目からは見えないが、もしかしたら痕になっているかもしれない。
喉の奥に残る異物感は消えないものの呼吸は落ち着いて少しばかり頭が冷静になってきた時、自身の身体を見下ろすように下げていた視界にロイの腕が飛び込み次は何をされるのかとエドワードは身をかたくする。
ロイの指先がエドワードの上着の留め金を外し、袖を腕から抜いていく。上着を脱がされた、その事実は理解できたが、一体何のためにこんな事をされているのかわからない。
「…何やってんだよ、あんた」
先程の行為への不信感は消えてはいないが、訊けば答えはするだろうと思いエドワードはロイに問う。それと同時にめくられたシャツの隙間からロイの乾いた掌の感触を直接腹部に感じて、エドワードは今まで感じたことのないような不快感に身体を震わせた。
「仕事が忙しくてね。最近は女も抱いていない。欲求不満なんだよ」
「……女?」
ロイが何を言っているのかわからない。正確には理解したくないと言ったら良いのだろうか。
しかし、エドワードに考える隙も与えずロイの指先は胸部に触れる。嫌がらせと言うならば、十分にその範囲を超えている行為だ。
「っ、気持ち悪い!さっさとその手を離しやがれっ!!」
胸に触れているロイの掌が気持ち悪くてすぐに引き剥がそうとしたが、殊更力を入れられて胸部に走った痛みに思考を奪われる。
「…ヒューズの事、謝罪したかったんじゃないのか?」
「いっ!?」
ほんの僅かに膨らんでいる胸の先のしこりを指の腹で痛みを感じるほど摘まれて、エドワードは更に苦渋の表情を浮かべる。エドワードは耐えきれない程の嫌悪感と胸に走る痛みをぐっと堪えて、とても尋常な様子とは言えないロイを侮蔑の表情で睨み付ける。
「…ホントに欲求不満なんだな。俺みたいなのにまで手を出しやがるんだから…でもな、さすがに俺も知ってるぜ?信じられねぇけど、アンタ女に不足はしてねぇんだろ?アンタが望めばその『欲求』とやらを解消してくれる女はいくらでもいる。少し頭冷やしたらどうだ?」
本当は身体が震え上がるほどの恐怖を感じてはいたものの、エドワードはそんな素振りを微塵も感じさせず気丈にロイに言い放つ。それはその年齢に釣り合わない程の修羅場を越えてきたエドワードの冷静な判断でもあった。痛みも恐怖も覆い隠せる。こんな時ほど冷静にならなければ状況は更に悪化してしまう事をエドワードは身を持って知っていた。
「…そうかもしれんな」
「……な」
エドワードの言葉にもロイは別段変わった反応を示す事もなく淡々と答える。胸を弄るのに飽きたのか赤く充血したしこりから指を離し、次はきつく結わえたままのエドワードの金髪に手を伸ばす。
エドワードは結んでいた髪の紐を慣れた手つきで解くロイの姿を、信じられないモノを目の当たりにしたような瞳で見つめる。
三つ編みをしていた為に絡まった髪を手櫛で解かれる感触に、次は冷静を保てなくなったエドワードは乱暴な手つきで髪を解くロイの掌をはねのけて叫びに近い声を張り上げる。
「アンタ、俺の話聞いてなかったのかよっ!?なんで平然としてるんだ!見えてるんだろっ、この身体が!!機械鎧で潰れた左の胸に、醜い傷がっ!これだけじゃない、足だって…触れば冷たいし金属の音は耳障りだ。気持ち悪いだろ?見てたくないはずだ…こんな身体……だからやめてくれよ。今なら忘れるから…」
自分で言った言葉に居たたまれなくなり、最後の方は消え入るような声になっていた。失った手足を補うため機械鎧をつけたのは自分の意志だ、恥じてなどいない。
しかし機械鎧を付けるための手術で残った傷跡は自分でも醜いと思う。それを他人が見てなんと思うか、想像しなくても判ることだ。
「…君らしくない言葉だな。そんなに見られるのが嫌か?」
ロイは首もとまでたくし上げた黒いシャツの隙間から覗く、肩の赤く腫れ上がった傷跡を指先でつっとなぞる。機械鎧との接合部でもあるその傷口に他人が触れた事など、今まで一度たりともなかった。ちくりと走る痛みと妙な疼きを感じてエドワードはロイの手を離そうと乱暴に身を捩る。
「やめろよっ…アンタ、どうかしてる…何でこんな事するんだよ。なんで俺なんだ…」
「どんな理由があろうとも女が一人暮らしの男の部屋に上がり込むのがどんな事か、判らないほど子供なのか?」
「俺は女なんかじゃねぇっ!!」
「口先だけで否定を繰り返しても君は女だよ。どんなに男になりたいと願ったとしてもなれないんだ」
それを示唆するように肉付きの少ない胸を掌で撫でるように持ち上げられて、エドワードは悔しさのあまり唇を強く噛む。そんなことわざわざ言われなくてもエドワード自身判っている。外見を取り繕っても、乱暴な口調で隠しても、心が否定しても、身体はどうしようもなく女なのだ。
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