何もかもが信じられなかった。

ヒューズ中佐が死んだ?
容疑者はマリア・ロス少尉で犯人と断定?

変わらないと思っていた日常にある筈の風景が奪われてしまったような感覚だった。突然の事に受け入れられない現実は、灼け焦げた臭いが真実なんだと雄弁に語っていた。




夕暮れ時、家路に急ぐ人々で賑わう通りをエドワードは一人覚束ない足取りを進めていた。顔色は悪く沈んだ表情は、生気さえも感じられず普段のエドワードとはかけ離れたものだった。
通りから少し離れた場所にこじんまりとした公園をエドワードの虚ろな視線が捉える。遊具で遊んでいた筈の子供達の姿は既になく、静まり返っていた。
そのまま賑わう通りを抜け、気がつけば公園の敷地内に足を踏み入れていた。
先程の賑やかさが嘘のように静まり返った場所に妙に心が落ち着く。今は誰にも使われていない寂れたベンチに腰掛けると、エドワードは体を折り曲げ掌で顔を覆い隠す。
信じられない出来事の数々はエドワードの脳裏に重くのし掛かり、まともに事態を整理する気力さえも奪っていた。ただ鉛のように重くなった頭部を掌で支えながら、『どうして』と意味のない言葉を頭の中で繰り返す。

もう胸の内にはその答えが出ているというのに。


(……俺のせいだ)

声には出さず胸の内だけでその言葉を呟く。自分達兄弟が追い求めている『賢者の石』。その事に関し詳細を知る数少ない人物だったヒューズ中佐は賢者の石に、自分達に深く関わりすぎたため何者かの手に掛かり命を落とした。そうとしか考えられない。
覚悟がなかった訳ではない。失った自らの身体を取り戻す為、再び何かを失う事も厭わないと思っていた。しかし、その覚悟の中には自分以外の人間は含まれていなかった。
そんな甘い考えが今回のような事態を引き起こしてしまったのだろうか。

「………」

ホテルで弟も一人心細い思いで自分の帰りを待っているのだろう。辛いのは何も自分一人ではない。彼を知る、親しい人々全てが同じ気持ちなのだ。

額が少し熱っぽく感じる。機械鎧の右手の甲を額にひたりと当てると金属の冷たさがひどく心地良く感じた。
茜がかっていた空は徐々に青くなっており、エドワードは薄く開いた唇から溜め息を吐き出すと重い腰を上げる。いつまでもこんな腑抜けたままではいけない、しっかりしなければと意識して歩みを進める。脇道からみた通りの人通りは先程よりも幾ばくか少なくなっていた。
流石にアルフォンスも心配しているだろうかと歩調を早め、大通りまであと数歩で抜けるという時だった。


「っ……!?」


視界に捉えたその姿に思わずエドワードは息を飲んだ。夕闇の空間にとけ込んでいるような漆黒の髪。遠目で見ればさして目立つ風貌でもない上に、見慣れた軍服姿でもないというのにその男だと判ってしまった。スローモーションのようにゆっくりと視界から消えていく男の姿にエドワードはこくりと喉を鳴らす。先日思い切り殴られた左頬の痛みを思いだし、エドワードは疲労の滲んだままのその表情を忌々しげに歪める。
エドワードは慎重に歩みを進め大通りまで出ると、その後ろ姿を視線で追う。黒いコートを羽織った男はこちらの存在には気付いていないようだ。
ホテルで待っている弟と幼なじみの事が脳裏に浮かんだが、再び溢れてきた行き場所のない憤りに生身の方の拳をぎりりと握りしめ、その後ろ姿を追っていた。





30分は歩いているだろうか。気付かれぬようかなり間隔を空けたまま後ろ姿をつけている間に、空はすっかりと闇色に染まっていた。
視界の暗さも手伝ってか左右に並ぶ建物の輪郭はどれも見慣れないものばかりで、ここがどこであるかさっぱりわからない。帰り道路頭に迷ってしまいそうな事は目に見えていたが、ここまできて今更引き下がるなんてことはできなかった。
(……にしても、どこまで行くつもりだよ…わざわざこんな遠い場所から軍に通ってるて言うのか)
どこまで行くのかなんて本人に訊くわけにもいかず、イライラと胸の内で舌打ちをしながら男の動向を探る。真っ直ぐに続いていた道の正面にアパートらしき建物が現れる。道を曲がるような気配はない所をみると、これがこの男の今の住居なのだろうか。
そんな事に気を取られている間に、休まず歩調を進めていたはずの男の動きが止まった事への反応が少しばかり遅れてしまった。

「…っ!!」

男がこちらを振り向き終える前に、建物の段差の物陰に身を滑り込ませる。認めたくない事ではあるが小柄な身体のお陰で、なんとか狭いスペースに身を隠す事が出来たものの緊張と上がった動悸はなかなか収まってはくれない。痛いくらい脈打つ胸を右手で抑えつつも男の様子を探ろうと必死で聞き耳を立てるが、その場から動く気配はなく気味の悪い静寂だけがこの場を包んでいる。

「隠れても無駄だ、出てこい」
「!!」

空気を切り裂くような冷たく鋭い声に、エドワードはびくりと肩を跳ねさせる。とっさに辺りを見回すが、逃げ場所などあるはずもなく唇をぎりりと噛み締める。
このまま姿を隠していても状況が悪くなるのは目に見えている。エドワードは一度拳を握り締めると重い足取りで男の前に姿を現した。
「人の後をコソコソつけまわすとは随分良い趣味を持っているようだな、鋼の」
「……気付いていたのか」
「あんな下手な尾行の仕方で気付かれないとでも思っていたのか?それならば君は相当おめでたい頭をしているようだな」
「…………」
吐き捨てるような言葉と共にこの暗がりでも見て取れる程の嘲笑を浮かべている男の、ロイ・マスタングの顔をエドワードは忌々しげに睨み付けた。

「それで、私に何の用だ?」

おそらく見当はついているのだろうが、ロイはわざわざエドワードに問いかけてくるような真似をする。そんな白々しいロイの態度にエドワードは憤りさえ感じてしまう。
「……なんで嘘をついた」
震える唇からようやくそれだけ口にする。まだ現実を受け止めきれていない頭は、まだ混乱したままでうまく言葉にする事ができない。
でもこの機会を逃せば真実を知る事ができないような気がして、エドワードは更に言いつのる。

「…アンタ、あの時俺に言ったよな、もういないって……でも本当はヒューズ中佐は、」

「鋼のっ!」

口にしようとした言葉の続きはロイの叫び声にかき消された。再び静まり返った空間には張り詰めた空気が漂いロイの取り乱した様子に、やはり全て現実なんだと言うことを妙に実感させられる。

「……もう、夜も遅い。話の続きをしたいと言うのであれば、私の家で聞こう」
それだけ言い終えるとロイはエドワードから背を向けて歩き出す。

(誰が聞いているともわからない場所での話は出来ないって事か…)

ここまで来て尻尾を巻いて逃げる事なんて出来るはずがない。ロイは必ずヒューズ中佐の死やロス少尉について何かしら知っている筈だから。
エドワードはその場から動かす事のなかった足を進め、ロイの後を追った。






アパートの二階の突き当たりのドアの前で鍵を開けている最中だったロイの姿を見つける。姿を見せたエドワード、ロイはあからさまに不機嫌な表情を作って見せたが、エドワードは別段気に止めなかった。厄介事を持ち込むのも押し付けられるのも互いに慣れていたし、そんな些細な事を気にしていては身が持たない。
扉を開き無言のまま部屋の中に入っていくロイに続いてエドワードも室内に足を踏み入れる。暗くて何も見えなかった部屋に明かりが灯り、部屋の間取りがぼんやりと見えた。散らかってはいないが、ダンボールの山を見るとまだ越してきて荷物の整理が出来ていないことが見て取れた。
「何を突っ立ている。そこの部屋のソファに掛けて待っているといい」
「あ、ああ…」
言われるままに部屋のソファに腰掛けるが、どこか落ち着かない。他人の家なのだから当たり前と言えばそうなのであろうが。

(そう言えば大佐の家に上がったの、初めてだよな…)

顔を会わせると言えば軍部か事件の現場だけで、ロイのプライベートでの接触は今まで一度もなかった。長い付き合いと言えばそうなのであろうが、エドワードはロイの事に関して実際何も知らない。知っているのはこの若さで国軍大佐の地位にあり『焔の錬金術師』の二つ名を持つ国家錬金術師であることと、大総統の地位を欲していること、それくらいだろうか。口が裂けても言えないが彼が有能なのは認めているし、信頼もしていた。
付き合いだけは長いせいか彼の性格も良く知っている。
だからだろうか。ロイの事が好きになれないのは。
認めたくはないが自分とロイは似ている。時折自分の姿を客観的に見せられているようで嫌になる。こうも出自も立場も全く異なる人間だというのに。


「コーヒーでいいか?ここには越してきたばかりでな、あまり物がないんだ」
「…え?いいよ、俺なんかに気を使わなくて」
「別に気を使っている訳ではない。ついでだ」
「………」
そう言われれば返す言葉もなく、エドワードはテーブルに置かれたコーヒーのカップを黙って見つめる。
「…それで?こんな所までわざわざやってきたんだ。君の話とやらを聞こうか、鋼の」
向かい側のソファに腰掛けたロイはコーヒーを一口含むとエドワードに話の続きを促す。エドワードは気持ちを落ち着けるように、慣れない部屋の空気を吸い込んでから口を開いた。
「…俺がセントラルに来てアンタに会ったとき、ヒューズ中佐の事訊いたよな……なんであんな嘘ついたんだよ」
「その事についての謝罪ならばした筈だが」
「俺はそんな謝罪なんかが欲しかったんじゃないっ!」
「要するに理由が必要か……君の幼なじみの少女、彼女はヒューズの娘の誕生日会にも呼ばれて随分と親しくしていたと聞いた。だからあの場でヒューズの死を突然知らせるのは酷だと思った…それだけだ」
「っ、そんなのただの言い訳じゃねぇか!!」
エドワードは再び沸き上がってきた憤りのまま、目の前のテーブルを両手で叩きつける。ぐらりと傾きそうになったカップにさえも気が回らないほど頭に血が上っていた。怒りを露わにしているエドワードを目の前にしても、ロイは平然としていてその態度が更にエドワードを煽ってしまう。
「隠したって結局いつか分かっちまう事じゃねぇか!それがあんな形で知ることになるなんて…何が何だか訳がわかんねぇよっ!!」
「新聞で読んだのだろう。ヒューズ殺害の容疑者としてマリア・ロス少尉が捕まった事、犯人と断定された事。それが事実だ」
「あのロス少尉がヒューズ中佐を殺したって言うのかよっ!証拠は!?何の動機があってっ…!!」
「…あの夜、マリア・ロスは留置所から何らかの方法で脱走を図った。軍からは容疑者を発見した後、捕獲また抵抗した場合射殺しても良いとの命令が出ていた。丁度現場に居合わせたんだ。わざわざ私から聞く話もあるまい」
「何を…」
そんな事実はわかりきっている。それは上辺だけの偽りの事実だ。とても納得の出来るような話ではない。だからこうして何かしら真実を掴んでいるであろうロイにその是非を問うているのに、エドワードに話す気などないと言った素振りだ。
「それ以上の真実があるとして、知ってどうする?何が出来る」
「…どういう意味だよ」
「何も出来ない無力な子供が、一体何が出来るのかと訊いているんだ」
あまりの言い種に頭に血が上ったままのエドワードは口を開きかけたが、自分を見つめていたロイの表情に思わず息を飲む。明らかに怒りを露わにしているロイの瞳を不意に恐ろしいと思ってしまった。声を荒上げて怒鳴られている訳ではない、ただ自分を見つめるその暗い瞳に純真に恐怖を感じた。
「ヒューズは第五研究所について探りを入れていた。そこで得た情報からか軍内部での何かしらの重大な事実を知り、何者かに殺された」

広告 [PR]ヒートテック  転職支援 わけあり商品 無料 チャットレディ ブログ blog